日光カンツリー倶楽部

Club history

歴史

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1952

日光カンツリー倶楽部

郷土出身で中央財界の重鎮加藤武男氏(左)と、栃木県知事小平重吉氏。
昭和27年夏、金谷ホテルで行われた両氏のいわゆる日光会談で、日光カンツリー倶楽部建設の弾み車が一挙に回りはじめた。

1953

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寒風をついて、建設地・所野河川敷の現地調査。前年秋の候補地調査の結果、建設地に決まったのは当初想定していた山岳地帯から一転しての平坦地、ただし大谷河原に転石累々、石ころ地獄の荒蕪地だった。

1954

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前年末の伐木作業に引き続き、昭和29年の年明け早々から各ホールごとの造成作業に。モデルホールとしてまず6番を選定、試験施工に着手する。

1955

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開場当日の朝、「日光ゴルフ場きょう開場」を伝える下野新聞の予告記事。「海抜五百メートル、日光連峰を背景とする絶景地で…」とリポートしている。

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開場記念競技を開催し、名誉会員高松宮殿下が始球式。参加者121名。4月3日にアウト9ホールで仮開場のあと、5月22日にイン9ホールが開場し、18ホールのプレーができるようになった。

1956

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開場翌年に早くも始まった那須日光懇親競技のスナップ。第1回は日光で開催、以後毎年交互に開催し、今日まで途切れることなく続いている。

1957

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昭和32年に発行された日光カンツリー倶楽部会報第1号。

1958

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昭和33年、2度の台風襲来で水害被災。写真は、8月の台風17号で痛めつけられた8番ホール中央窪地の復旧作業風景。しかしこの労苦の成果も、1年後の数倍もの台風水害で文字通り水の泡と化すことになる。

1959

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前年に続いて襲来した台風(7号および15号)により、倶楽部史上最大の自然災害を被った。堤防を突き破った大谷川の奔流がコース内を縦横無尽に踏みにじり、前年できたばかりのスタート小屋は陸の孤島と化した。

1960

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流出した橋のあとに復旧新設なったハウス前木橋。橋の向こうは修復中の練習グリーン。

1964

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開場10周年記念競技終了後の祝賀会で挨拶する古川尚彦理事長(第2代)。

1965

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昭和40年、第2回アジア・アマ選手権が日光で開催され、日本優勝。優勝カップを前に喜びのチームメンバーは、中央にキャプテンの細川護貞氏と左から選手の三上正彦、寺本昭洋、広瀬義兼、中部銀次郎の各氏。

1969

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時ならぬ大雪。4月中旬というのに積雪16センチの雪化粧にクローズ2日。この年の1〜4月のクローズ日は通算44日を数えた。

1973

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昭和48年夏、落雷によりキャディ1名を含む3名が死亡するという重大事故が発生し、緊急措置として導入した防雷用古バス。4台が各所に配置されたが景観上の問題もあり後に防雷用四阿に役目を譲った。

1979

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開場25周年記念競技1番ホールの加藤武彦理事長(第3代)のティーショット。

1987

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日光杉並木材を利用して新たに作り直したヤーデージ標示板。日光の距離表示は、昭和51年4月にそれまでのヤードからメートル標示に変更。53年10月にヤード標示に戻している。

1990

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強風で倒れた1番ホール横の柳の大木。平成2年春、台風並みの強風が吹き荒れ、松、柳など、コース内の倒木は280本に上った。

1993

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平成5年度関東シニア選手権の決勝競技が日光で開催される。日光での公式競技開催は、昭和40年のアジア・アマ、63年の関東アマ予選以来3度目。

1994

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平成6年10月22、23の両日、開場40周年記念競技を開催。写真は、22日の競技終了後の祝賀会で挨拶する楠本陽一郎理事長(第4代)。着席は、加藤武彦前理事長(左)と吉原武前キャプテン。

1996

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平成8年度第81回日本アマチュア選手権開催。初日コースレコード67を出した星野英正(東北福祉大1年生)がトータル279、9アンダーで優勝。写真は楠本陽一郎理事長と星野英正選手。(H 8.7.9〜12)

2000

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日光カンツリー倶楽部に数ある名木のひとつ、7番ホール左サイドクロスバンカー横の樅の大木通称クリスマスツリーに落雷。ゴルフ場創設以前から日光名物として親しまれたこの樹も、惜しまれつつその生涯を閉じることとなった。その替りの樅の木が移植され、成長中である。(H 12.8.9)

2002

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平成14年度関東アマチュアゴルフ選手権決勝競技開催。甲斐慎太郎(日体大3年)がトータル284、4アンダーで優勝。写真は右より楠本陽一郎理事長、甲斐慎太郎選手、高橋利之キャプテン。(H 14.6.11〜14)

2003

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平成15年度第68回日本オープンゴルフ選手権競技開催。深堀圭一郎がトータル8アンダー、276ストロークで優勝。写真は最終日に大逆転劇を演じた深堀圭一郎プロ。(H15.10.16〜19)

2005

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平成17年、第10回4カ国チーム選手権(アマチュア)開催。太平洋を囲むゴルフ愛好国による対抗戦は、オーストラリア優勝、以下ニュージーランド、日本、カナダ、の順位で終了。その夜、金谷ホテルにて親睦会が催された。(H17.5.18〜20)

2012

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平成24年、第1回北関東シニアオープンゴルフ選手権開催。
東日本大震災で影響を大きく受けた北関東エリアの「震災復興支援とゴルフ振興の為に」開催された。
写真は69、3アンダーでプレーオフの末に優勝した、渡辺司プロ。(H24.11.6~7 初日は雨天により中止)

2013

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平成25年度関東アマチュアゴルフ選手権決勝競技開催。
秋元 一男(相模原)がトータル286、2アンダーで優勝。写真右、秋元一男選手。(H25.6.10~13)

2017

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平成29年度(第39回)日本シニアゴルフ選手権決勝競技開催。
和田博(袖ヶ浦)がトータル213、3アンダーで優勝。和田は日本アマ、日本ミッドアマに続く「日本」タイトル3冠を達成。写真は右より澤田信弘(3位)、和田博(優勝)、亀井隆(2位)。(H29.10.25~27)

2018

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平成30年度関東アマチュアゴルフ選手権決勝競技開催。
石坂友宏(関東アマ)がトータル275、9アンダーで優勝。写真は、石坂友宏選手。(H30.6.5~6.8)

2021

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令和3年関東女子ゴルフ選手権決勝競技開催。
佐久間朱莉(関東女子)がトータル209、7アンダーで優勝。
佐久間と同世代でトップアマチュアの岩井明愛・千怜姉妹など多くの優勝候補が出場したが、結局は、佐久間が初日からの首位を守って優勝。写真左は、佐久間朱莉選手。(R3.5.12~14)

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令和3年第88回日本プロゴルフ選手権大会開催。
前年に開催予定だったが、新型コロナウイルスの影響で1年延期された。最終日のバックナインで一時は首位に4選手が並ぶ大混戦となったが、キム ソンヒョン(韓国)がトータル271、13アンダーで優勝。
(R3.7.1~4)写真提供:日本プロゴルフ協会

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