Course
Architect
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Architect
Seiichi Inoue
1930年に来日した英国のコース設計家、チャールズ・ヒュー・アリソンとの出会をきっかけに、コース設計家の道を志した氏は、1932年の霞が関カンツリー倶楽部・西コースに始まり、生涯を通じて国内44コース、海外2コースをデザインしてきた。
とくに40歳代半ばの壮年期に手掛けたコースの評価が高く、大洗ゴルフ倶楽部(1953)、愛知カンツリー倶楽部(1954)から龍ヶ崎カントリー倶楽部および札幌ゴルフ俱楽部・輪厚(ともに1958)へとつづく全盛期の真っ只中、1955年に当コースを設計することとなった。
井上設計の特徴は、もともとある地形を活かし、自然と調和させつつ各ホールに個性を持たせることにある。
中禅寺湖を発し、華厳の瀑布を流れ落ちる大谷川の畔に広がる日光カンツリー倶楽部。
そこはまさに、稀代の設計家の創造性を刺激する〝稀なる土地〟だった。
優美な赤松が連なる地勢は、平らかなだけではなくスコットランドのリンクスを思わせる絶妙な陰影をもち、かつ人間の感覚では上り下りの傾斜を認知できない「2%勾配」という特異なキャラクターを有している。
そんな奇跡のような場所にマエストロが魔法を施すことにより、プレイヤーの戦略眼を水平方向にも垂直方向にも惑わしていくゴルフコースが誕生することになった。
世界遺産として知られる二社一寺が鎮座する日光の深奥へと連なる地に、名匠・井上誠一が美しく描き出した〝ゴルフの聖域〟。
それが日光カンツリー倶楽部なのだ。
井上 誠一
(1908年〜1981年)
東京生まれ。
「ゴルフは遊びであり、愉しみなんだが、粋で品がなければならない」井上氏の言葉から
井上氏の手による造成当時のコース図面。作成日の1954年と井上氏の署名(S.INOUE)が、確認できる。
等高線上に、グリーン、バンカー、フェアウェイライン、樹木の配置等が描かれ、グリーン周辺の形状など、その緻密さに驚く。
井上氏の助手であり、その設計思想の一番の承継者といわれた宮澤長平氏の遺品として、2005年に全18コース分の図面が当倶楽部へ寄贈された。
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